私は、
「できない子」を叱る文章を書いてきませんでした。
私が書いてきたのは、
なぜ人はつまずくのか。
なぜ学力差が生まれるのか。
そして――
それは本当に、本人のせいなのか
という問いです。
学力を「努力」や「根性」で片づけず、
脳の使われ方、思考の構造、環境との相互作用として、
できるだけ丁寧に言葉にしてきました。
AIが答えを出せる時代に、
それでも人が人に語る意味は何か。
進路とは何か。
生きるとは、学ぶとは何か。
不登校、発達特性、家庭と教育の関係――
現場で見てきた事実を、
美化も断定もせず、
「考えるための言葉」として残しています。
例えば、これまでに次のような記事を書いてきました。
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「学力を努力で片づけないという選択」
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「不登校は問題ではなく、サインであるという視点」
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「AI時代に、進路を“正解”で決めていいのか」
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「できない理由を、本人の中に押し戻さないために」
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「思考は、安心の上にしか芽生えない」
この文章群は、
ノウハウでも、自己啓発でもありません。
考えることを、手放さないための記録です。


