
スプラウツでは、これまで多様な背景を持つ子どもたちと向き合ってきました。
その中で、今でも深く心に残っているケースがあります。
それは、場面緘黙症の子どもとの関わりです。
家庭では普通に会話ができるにもかかわらず、特定の場面、特に学校や外部の環境において、言葉を発することができなくなる状態。
その子はまさに、教室に入った瞬間から「声」を失ってしまう子でした。
私はこれまで多くの生徒を見てきましたが、「言葉が出ない」という状況は、想像以上に難しく、そして深いものでした。
「話さない」のではなく、「話せない」という現実
最初に強く感じたのは、
これは決して「性格の問題」ではないということです。
多くの人が誤解しがちですが、場面緘黙は「恥ずかしがり屋」や「内向的」という単純な話ではありません。
むしろ、専門的には不安症の一種とされており、
本人の意思とは関係なく、言葉が出なくなる状態です。
例えば、ある心理学の研究では、
場面緘黙の子どもは「極度の社会不安」を感じたとき、
身体が“凍りつくような反応”を示すとされています。
つまり、
「話さない」のではなく、
**「話そうとしても身体が動かない」**のです。
この前提を理解していなければ、
指導は必ずどこかでズレてしまいます。
私の失敗と、届かなかった距離
その子との関わりは、正直に言えば、うまくいきませんでした。
私は「待つこと」「安心できる環境をつくること」を意識しながら接しました。
無理に話させることはせず、視線や仕草、表情から意思を読み取ろうとしました。
しかし、結果として最後まで意思の疎通が取れず、
その子は退塾することになりました。
この経験は、教育者として非常に重く、そして悔しいものでした。
なぜ、届かなかったのか。
何が足りなかったのか。
その問いは、今でも私の中に残り続けています。
振り返って見えた「構造的な課題」
時間をかけて振り返る中で、いくつかの課題が明確になってきました。
①「個人の努力」で解決しようとしていたこと
私は当初、「教室の中での関係性」をどう築くかに集中していました。
しかし、場面緘黙は環境全体の問題です。
教室だけで改善するものではなく、
家庭、学校、支援者すべてが連携しなければ、変化は起きにくい。
これは大きな見落としでした。
②専門的アプローチの不足
後から学び直す中で、
場面緘黙に対しては以下のような支援が重要だと知りました。
- 段階的曝露(スモールステップでの発話練習)
- 刺激フェーディング(安心できる人から徐々に環境を広げる)
- 認知行動療法的アプローチ
私はこれらを体系的に実施できていませんでした。
「理解しているつもり」と「実践できている」は、全く違う。
その現実を痛感しました。
③「時間軸」の認識の甘さ
場面緘黙の改善は、数週間や数ヶ月で結果が出るものではありません。
場合によっては、年単位の支援が必要です。
しかし当時の私は、どこかで
「もう少しすれば変わるはずだ」と期待していました。
その期待が、結果として適切な戦略設計を遅らせていた可能性があります。
本来、家庭に求めるべきだったこと
この経験から強く感じたのは、
家庭との連携の重要性です。
もし今、同じケースに向き合うなら、
私は以下の点を明確にお願いすると思います。
①「家庭内での状態」の詳細共有
- 家ではどの程度話せるのか
- 家族以外ではどうか
- 過去に話せた場面はあったか
これらの情報は、支援設計の出発点になります。
②専門機関との連携
場面緘黙は教育の問題であると同時に、
医療・心理の領域でもあります。
そのため、
- 臨床心理士
- 児童精神科
- 発達支援センター
などとの連携は不可欠です。
塾だけで抱え込むべきではありません。
③「結果を急がない」という合意
最も重要なのはここです。
保護者の方が「早く話せるようになってほしい」と思うのは当然です。
しかし、その焦りが無意識のプレッシャーとなり、
子どもをさらに追い込むことがあります。
だからこそ、
「長期戦である」という認識の共有が必要です。
教育とは「届かない経験」から学ぶもの
このケースは、成功体験ではありません。
むしろ、私にとっては明確な「失敗」です。
しかし、教育において本当に重要なのは、
成功だけではなく、
届かなかった経験をどう意味づけるかだと思います。
あの時の私は、確かに力不足でした。
けれど、その経験があったからこそ、
今はより深く「支援とは何か」を考えるようになりました。
それでも、希望はある
場面緘黙は、適切な支援によって改善するケースが多く報告されています。
例えば、海外の研究では、
行動療法的アプローチによって発話が増加した例が多数示されています。
また、日本国内でも、
学校と家庭、専門家が連携した支援により、
徐々に話せる場面が広がっていった事例が報告されています。
重要なのは、
- 無理をさせないこと
- しかし、放置もしないこと
- 小さな一歩を積み重ねること
このバランスです。
最後に
言葉が出ない子どもは、
決して「何も考えていない」わけではありません。
むしろその内側には、
多くの思いや葛藤が存在しています。
ただ、それを外に出す手段が、
今は「言葉」という形を取れないだけなのです。
教育とは、その見えない内側に寄り添い、
「表現できる形」を一緒に探していく営みだと私は考えています。
あの時、もっとできたことがあったはずです。
その後悔を、
次に出会う子どもたちへの責任として、
これからの指導に活かしていきたいと思います。
スプラウツとしてのこれからの方針
今後、同様のケースに対しては、
- 初期段階での専門家連携
- 家庭との具体的な役割分担の明確化
- 長期支援を前提とした設計
- 非言語コミュニケーションの積極活用
を軸に、より慎重かつ戦略的に支援を行っていきます。
言葉にならない声を、どう受け取るか。
それは、教育者にとって
最も難しく、そして最も本質的な問いの一つです。
この問いに向き合い続けること自体が、
私たちの使命なのかもしれません。
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